ケーシーは1988年にフィル・ミケルソンの母校アリゾナ州立大学に、ドナルドも同年シカゴのノース・ウェスタン大学に留学した。当時の米国学生リーグは彼らに加え、チャールズ・ハウエルIIIや“トップ10マシーン”のマット・クーチャー、2009年「全米オープン」優勝の
激安ゴルフクラブルーカス・グローバーらが凌ぎを削っていた。その中でケーシーは常に最注目選手で、ミケルソンの後継者と期待されていた。学生リーグ通算6勝。ミケルソンやタイガー・ウッズが保持していた記録を破る劇的勝利もあった。アマチュア版欧米対抗戦「ウォーカー・カップ」で全勝し、彼ひとりで4ポイントを獲得。2001年「全英アマチュア選手権」2連覇を達成直後に大学を中退し、プロ転向を果たした。欧州ツアー出場わずか5試合で出場権を獲得し、センセーションを巻き起こした。
私生活では、「マスターズ」覇者のファジー・ゼラーの紹介で知り合ったジョセリンと7年の交際を経て2008年に結婚。彼女は
www.linazargar.com“プレイボーイ”の創始者ヒュー・ヘフナーの親族だったことも話題になった。しかしアリゾナでの幸せな生活は短期に終わり、約3年の話し合いを経て、2011年に正式離婚。同年末はアイダホでスノーボードをしている時に転倒し、右肩を負傷する不運に見舞われた。手術は不要だったが全治2か月の重傷で、ゴルフにも悪影響を与えた。