パーパットを沈めてガッツポーズ。松山はプレーオフ1ホール目で優勝を決めた。松山英樹の「ザ・メモリアルトーナメント」優勝は、日本人選手としては6年ぶり6度目、4人目の米ツアー制覇だった。遡ること31年前、先駆けとなった1983年「ハワイアンオープン」の青木功初優勝から
激安ゴルフ用品でプレーバックし、改めて、日本人選手の米ツアー初優勝を振り返ってみた。単独首位から出たワトソンは「72」と伸ばせず、通算12アンダー3位で終了。
今日は午前中からショットが良くなかったが、その中でも激安ゴルフ用品アイアンショットがバーディチャンスについてパターも良くなっていき、最後18番でそのパターで決めることができて良かったです」。
gorufumise31歳で初出場した1974年の「マスターズ」以来、日本ツアーを拠点としながら積極的に海外参戦し始めた青木は、78年に「世界マッチプレー選手権」で海外初優勝。80年「全米オープン」では今も語り草のジャック・ニクラスとの4日間に及ぶ死闘の末に準優勝など実績を積み上げ、81年に米ツアーのツアーカードを獲得した。世界ランク1位のアダム・スコットはクリス・カークと並び、通算10アンダーの4位に続いた。松山の話「この場所で優勝できて本当に嬉しいです。